269.「ショーケン」という生き方。

萩原健一氏の訃報が報じられたのは、逝去した3日後のことだった。

あまりにも早すぎそして短すぎた人生は、青春時代から彼を見て同世代を生きた者として、衝撃的だった。


GS全盛期で高度成長経済期の昭和42~43年頃、ザ・テンプターズのボーカリストとして、ザ・タイガースの沢田研二と人気を二分していた現役時代の「ショーケン」を、今となっては知る者もかなり少ないだろう。

テレビは、彼の4度の結婚と4度の逮捕歴から「波瀾万丈の人生」と紹介し「破天荒なアウトロー」と評した。

GS時代が去った後、俳優として稀有な才能を発揮し、そのカリスマ的な魅力に多くの若者は共感した。

4度にも及ぶ逮捕歴や離婚と結婚の繰返しも含め、その自由奔放な生き方は、常にハラハラドキドキさせながら、危なっかしい思いを抱かせつつ、男も女もそこに強烈なインパクトを感じ惹き込まれていった。


萩原健一とは、一言では言い表せないが全身から人を惹き付ける何かを発散させていた強烈な個性を持った人物であった。

8年前に罹患していたにも拘わらず、晩年においても彼から醸し出されるフェロモンは強烈で、病の影など微塵も感じさせなかった。

そんな彼を、日常のテレビで見ることがないまま、長い歳月が流れた。

ところが今にして思えば、恰も死期を悟っていたかのように、昨年は私自身三回もテレビでショーケンにお目にかかる機会を得た。

一つはBSの「あのスターに会いたい」という一時間番組で、懐かしいテンプターズ時代の映像から、今見てもドキドキワクワク感満載のドラマや映画でのシーンが写し出されたのである。

しかも全盛期でも見たことがないほど長い時間、今では白髪が似合うようになった容姿で、これまでの人生を語ったのだ。

秋になると、NHKドラマ高橋克典主演「不惑のスクラム」で、ステージ4の癌を抱えながら、ラグビー好きな中高年を束ねる役で出演した。

最期は妻や同僚に惜しまれて人生を閉じる役柄であったが、先日10万人に一人という難病の癌に冒されながら、本人の強い要望で公表しなかった経緯を思えば、このドラマに起用した側も後になって驚愕したに違いない。

そして最後は、確か暮れのフジテレビの音楽番組で、かつてGS時代にテンプターズの兄貴分として人気を博したスパイダースの堺正章と対談する番組でお目にかかった。

世間から眩しいまでに脚光を浴びていた全盛期でも、マチァアキとショーケンの対談など見たことがない。

これら三番組は、番組表でショーケン・萩原健一が出演することを知って録画したものであり、偶然見かけたものではない。
表舞台から遠ざかって久しい彼の名は、今になっても目に飛び込んできたのは、若い時代、それだけインパクトを受けたことへの反応だったのである。

それから約3ヶ月。満開を迎えようとしている桜と共に、何の前触れもなく突然散って行った。時恰も平成の時代の終焉まで僅か1ヶ月と迫った3/26であった。

若い頃は、毎日のようにテレビ画像に映し出されていた彼の姿が、忽然と消えてから久しかったが、天に召される直前の一年の間に、三回もお目にかかるなどというのは、もしも偶然だとすれば出来すぎている…と思わずにはいられなかった。


普通ならば、これだけ度重なる一般でいう「人生の汚点」を繰り返せば、ファンからも業界からも干されて潰されていたはずである。

にも拘わらず、挫折しては不死鳥の如く生き返ってきたのは、おそらくショーケンという子供のまま大人になったように正直な生き方をした彼の人間性に、多くの人たちが共感し、ハラハラドキドキしながら愛されたからに他ならず、ショーケンだから許されてきたということであろう。

今回はいつものブログのテーマとは全く別な内容だが、あまりにも欺瞞で姑息な生き方が横行する世の中にあって、その刹那、刹那を正直に生きたが故に数々の障壁にぶつかりながらも、それが一服の清涼剤の如く人々に共感を与え、多くの人たちに愛された「ショーケン・萩原健一」という生き方をいとおしく思い、思わず発信した次第である。

心からご冥福をお祈りする。

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