259.ポスト物質至上主義。

物質至上主義、唯物論、科学万能主義。

縄文人のDNAを継承する大和の心は、これに剥奪され、そして反日思想が列島を汚染し、そして失われた。

「大和心への回帰」は安倍晋三総理がかつて掲げたスローガン「日本を取り戻す」「日本再生」と同義語である…ということに気づいたのは、つい最近のことである。

失われたのは大和心であり、領土ではない。
もしもこれが物質至上主義に塗り染められている民族ならば、不可視の心や魂を奪われたとは考えないであろう。
あくまでも物質(としての)領土が失われた…という発想しかあり得ないだろう。

ふとそう思った時にそれに気づき、欧米主導で長く人類の価値観を席巻してきた物質至上主義の崩壊を予感したのである。

「未だに」目に見えるものや現象が真実であり、目に見えないものや現象は否定する…というのが国際社会のmajorityである。

唯一彼らが不可視のものや現象を肯定するのは科学で証明されたもの…という前提条件がなければ認めない。

不可視の存在を受け入れるものは、非科学的、胡散臭い…果ては変人などと揶揄されてきたことも珍しいことではなかった。


敢えて「未だに」といったのは、近代物理学の最先端を行くと謂われている量子学の進歩により、素粒子の本質が解明されたことによって不可視の世界を否定する物質至上主義の根底が揺らいでいるからである。


量子論で崩れ始めた科学の礎
http://gakkenmu.jp/column/16312/


このブログでは「形而上」「形而下」などという不可視の存在を肯定したり、近視眼的に対して「遠視眼的」などという造語を(好んで)使ってもきたし、日月神示や光文書を引用し専門の先生に参画していただいた時期もあった。


ブログ「大和心への回帰」のジャンルは?と言われれば政治ブログとしてスタートした。

超現実社会を論ずる政治とは相容れない、およそ無縁な視点から論評してきたという点において、政治ブログとしては特異な立ち位置にあったという自覚はあった。


科学のことになると子どもの頃から苦手で、その上不可視の世界にこそ真実がある…などとまともに思っていたから、可視の物質を追求する物理学などは遠い存在だった。


物理学の先端を行く量子学が、万物は素粒子で構成されていること、素粒子は「波動」であるが、人間の意識が向けられた時物体としての「粒」となること、を実証して´しまった´。

不可視のものや現象を否定してきた、物質至上主義で科学万能主義を、絶対的価値観としてきた地球上のmajorityの彼らが、不可視のものや現象を唯一肯定する条件として「科学で証明された場合」を唱えてきたが、量子学という科学で証明されてしまったことについて、どう反応するのか興味深い。


日本が取り戻すのは目に見えない「大和の心」である。

いずれ日本盟主論の続編をと思っているが、欧米主導で長く世を席巻してきた価値観、物質至上主義崩壊のあと、精神文明主体の価値観を先導するのは、再生された日本が起点となるはずである。
それが日本が盟主たる所以である。

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