71.「痛快」「共感」「感動」…‘わが祖国・日本をどうしたいのか`が問われる時。

今国民一人一人に問われているのは「わが祖国・日本をどうしたいのか」ということの意思表示である。

話は2年半前に遡る。猪瀬後継都知事選たけなわだった。

当時私は田母神俊雄候補一択であった。
その理由は単純明快である。
田母神氏だけが、唯一孤立無援。孤軍奮闘。「日本再生」に立ち向かったからである。

舛添はもとより、細川、宇都宮は論外。
祖国・日本を取り戻す人材、日本を取り戻すために託す人材が、田母神氏以外に一体だれがいるというのか。…これが田母神一択の理由であった。

この時もメディアは、舛添、細川、宇都宮を有力3候補としてクロ-ズアップし、田母神の「田」の字も取り上げることはなかった。
しかし、ネット上では田母神支持が旋風を巻き起こし、メディアも泡沫候補というレッテルを貼り付けるわけにはいかなくなって、田母神氏は有力候補の一角に食い込むことになったのである。

しかし忘れもしない。
確かテレ朝の番組で「有力4候補」に田原総一郎が個別対談をしたときのことである。
私はこれをリアルタイムで視聴していたが、田原の偏向ぶりがひどかった。
他の3候補とは明らかに差別した態度で、上から目線で質問を投げかけ、田母神氏の主張を頭から押さえつけ、一切語らせなかったのである。

これを見ていた私は、強い憤りを感じるとともに、田母神氏の台頭が彼らにとって余程不都合であることをまじまじと見せつけられたのである。
悲しいかな、これが当時の厳然たる実態だったのである。

石原慎太郎氏が最初に支持を表明し、百田尚樹氏は風邪を圧(お)してはるばる大阪から応援演説に駆け付けた。この演説の痛快さに溜飲を下げたのはいまだに鮮明に記憶している。

今となれば、安保法案成立のために、創価の推す舛添を推薦して公明党に貸しを作った安倍戦略であったことが理解できるのであるが、当時は自民が田母神氏を擁立していたならば、そして投開票日に雪が降らなかったならば、舛添と勝ち負けになったのではないかと本気で思っていたのである。

結果は61万票の大健闘となったが、開票結果が出ると選挙期間中沈黙していたメディアが、堰を切ったように一斉に田母神上げを始めたのである。そして、舛添を完全に食ってしまい、田母神氏が主役に躍り出たことを思い出す。
その後、孤軍奮闘「日本再生」を掲げて戦い抜いた田母神俊雄氏は、攻撃のタ-ゲットとされ、道半ばで不遇な運命を辿って現在に至っている。

なぜ前回の田母神氏の選挙戦を振り返ったかと言えば、攻撃の矢面に立つことを承知で、たった一人で「日本再生」に向かって敢然として立ち向かったからである。

今回の都知事選における櫻井誠候補であるが、取り巻く周囲と環境が異なることを除けば、孤軍奮闘。「日本再生」に真正面から立ち向かっている姿は当時の田母神氏に託した思いに近いものを感じる。

今回の選挙においては、何かが不足している…それが一体何であるかをしばらく考えていたのであるが、その何かが3つのキ-ワ-ドとなって浮かんだのである。
そのキ-ワ-ドとは「共感」「感動」「痛快さ」である。

ここにお寄せいただいた読者各位のコメントを拝読していると、多様である。


・櫻井誠氏には共鳴するが、小池氏に一本化しなければ売国都知事の誕生を許してしまうかもしれない。それだけはは絶対に阻止しなければならない。

・日本再生のために真正面から戦っているのは櫻井氏だけである。日本再生が実現できるのは、櫻井氏をおいて他にいない。自分の信念に基づいて櫻井氏に「日本再生」を託したい。

意見の違いはあるが、目指すところは同じである。
「わが祖国・日本をどうしたいか」という思いは同じである。
反日、売国思想が滲み込んだ元ジャ-ナリストや、親韓・利権構造にまみれた都議連推薦候補に日本再生は託せない、ということは大半の読者の思いである。

生憎都民ではない私には選挙権はない。
だが私は思う。
選挙に絶対はない。
当選者は一人である。何があってもおかしくはない。売国都知事が誕生する可能性がゼロではないのである。

しかし、ここで私は余命さんの言葉の奥深さをかみしめている。
以下、余命ブログのコメント欄。

ないちゃー
ネタとしては巷間?選挙関連としても終わった参院選なのに新しい記事にコメントいたしますことをお許しください。
 有田、福島が当選したことにかなり失望しましたが、そうではないかもと気がつきました。もしも落選であれば比例の次の候補が当選して議席数を獲得するわけです。しかしこの二人が当選して選挙が終わりました。あとから告発されて辞職となれば議席を失い、罪人も追放できてとってもお得です。当たりでしょうか。
もしまだ掲載すべきでないお話でしたら削除をお願いいたします。(ないちゃー)


.....標的二人が当選した。結構なことである。

「わが祖国・日本をどうしたいのか」…その答えを明確に共有し、日本のために熱い想いを持つこれだけの読者諸氏が集結した波動は、既に大きな場を形成しているのである。

どのような結果が出ようと「標的が当選するのも結構なことである」…この言葉の深さを思う時、既に決着はついているのである。

最後に私自身に選挙権があったなら、「痛快」「共感」「感動」を共有できる人材に一票を投じ、結果がどうあれ、そして当落に関係なく、多くの読者各位と共に「日本再生」を目指すことに何ら変わることはないのである。



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