69.都知事戦の核心は、戦後体制の攻防という見方。

一夜明ければ情勢が一変していることが珍しくないほど、国際社会は風雲急を告げている。その現象は恰も百匹目の猿現象の如く、連鎖的に世界各地に伝播しているかのように映る。

こんなときには、現実から視点を少し遠くに移すと共に、複眼的に見ることに努めてきたつもりである。

だが、ある読者の方から提供頂いた情報からたどり着いたことを契機に、折に触れてご紹介させていただいている積哲夫様のブログを拝読した瞬間、重大な視点を見落としていたことに気づいたのである。

まだまだ洞察に甘さがあることを痛感し、ハッと目が覚めた気持ちになったことを告白し、皆様と共に考えて見たいと思ったのが、今回の出稿の動機となった。

それは今たけなわの都知事戦であるが、どうやらその核心を外していたことに気づいた。勿論、私自身も含め、メディアやネットも近視眼的視野であったことを認めざるを得ない。

おそらく、候補者本人も担いだ側も、無意識の内に選挙戦を戦っているのであろうが、最初はこぞって左右の戦い、知名度の高い者を有利とする思惑で動いていたことは事実である。

だが、有力3候補についての核心は、左右の対立や知名度による戦いではなく、戦後体制の利益を代表する2つの勢力と、体制に風穴を開ける勢力との三つ巴の争いであったことに気づく。

告示直前のドタバタ劇の流れをみれば、この事を候補者自身が気づいていたかどうかはわからない。
だが、積氏が指摘される見解をみれば、本人の意識とは別の次元で、期せずして2つの戦後体制守旧派の代表と、レジームチェンジに向かって体制に風穴を開ける勢力の代表による三つ巴の攻防が、今たけなわの都知事戦の構図となっているのである。

ここに、天の采配による形而上の仕組みが、現実社会に写し出されている現象と見れば、組織や知名度によるかつての選挙戦のセオリーが崩れて行くのも、当然の成り行きだったことに気づかされるのである。

それぞれの候補者が、課せられた使命に気づいているかどうかはわからない。だが所詮は人智による利害闘争で担ぎ担がれた結果によって出馬した有力3候補には、戦後体制の攻防という極めて遠大な役割が課せられていたとすれば、やがて歴史が証明することになるであろう。

そして、戦後体制の転換が訪れた時、候補者は初めて自らに課せられていた使命に漸く気づくのかも知れない。

だが、歴史を変える主体者は有権者であることを忘れてはならない。


巣鴨プリズンと小池百合子


今回の都知事選挙について、かつて、巣鴨プリズンと呼ばれた所の官舎で育った私に、ある種のメッセージが届いたので公表しておくことにします。


東京裁判のA級戦犯とされる方が、いまの天皇誕生日に、処刑された場所が巣鴨プリズンでした。その場所は、東京都豊島区で、池袋の駅から歩ける、いまのサンシャインビルの建っているところです。十三階段の処刑場のあったところは、いま公園とされていますが、池袋の街そのものが、ガイコク化するなかで、何か大切なものを忘れたままの戦後というものを問いかけるようなエネルギーを宿しているのは、すこし霊的な能力のある人間ならわかるはずです。


東京オリンピックは、戦前にいちど開催が決定していました。その開催は戦争で消えましたが、前回の1964年のオリンピックでは、この国が高度経済成長を成功させる国民的な合意が形成されました。


今回のオリンピックは、2020年です。その時までに、日本がほんとうに覚醒できるかが問われているのですが、この視点から考えると、主要三候補といわれる方々の背負うものがあきらかになります。


皇紀2600年に生まれたジャーナリストの候補は、戦後のGHQによってレールをひかれたマスメディアの利益を代弁する存在です。男性の自公推薦候補は、これもGHQによってレールをひかれた戦後の地方自治体の議会の議員グループの利益を代弁する存在です。


豊島区を選挙区とする元衆議院議員の女性候補は、その敗戦利得者たちのつくった戦後システムに風穴を開けるためにあらわれた存在のようです。
この三者の関係を考えると、ほんとうに日本国の首都たる自治体の首長を決める今回の選挙で、2020年までのこの国の気分というか方向性が決まってしまうことがわかります。いま進行中のことについて精神界は、情報を開示しますが、それを参考にして、決定するのは、ひとりひとりの日本国民であるということです。


天皇制を含めて、ひとりひとりの国民が、この日本をどうするのかという、究極の民主主義がいま達成されつつあるという歴史の動きのなかで、今回の都知事選挙は、マスメディアやその他のメディアが報じているような、左右の対立や知名度による人気投票といったネガティブな選択ではないといえます。


7
31日の投票に向けて、さまざまな情報操作がこれからも行われていくでしょうが、日本全体の意識の場が、これまでもくり返しお伝えしてきたように、これまでのような戦後の支配システム下での羊のように洗脳されたところから次のステージに上昇しています。


このステージの上昇、または移動にまったく気がついていないのが、団塊の世代なのですが、この戦後に物質万能主義の教育を受けて、死んだら終わりと信じ込んでいる人間グループに、これから死に向き合う時間が訪れることになります。


この人間のたましいのあり方が問われる時代に、自分たちの死に方の責任がとれないものたちが、子供たちやその先に未来の子供たちのことを考えて、地方自治という政治の責任を担うことは、常識的に考えてもしてはならないことのはずなのです。


A
級戦犯の代表ともいえる東條英機元首相は、64才でこの世を去りましたが、不思議なことに今回の主要三候補のうちの二人は、64才です。


現在の日本の姿、とくに豊島区の姿が、あの戦争の結果であるとするなら、大東亜戦争と名づけられた戦いの目的とされた東亜諸国民の融和とはまったく別のものになっているということに、そろそろ、多くの日本人が気づかねばならないのです。


過去は、精神的なエネルギーの場で消え去ることはありません。そして、人為的に作り変えた過去から生まれるのは、本来あるべき正しい時空の扉とは別の物語です。


私は、精神界の伝達として、明治維新に間違いがあったから、1945年の敗戦に到る道が開かれてしまったのだということをお伝えし続けています。


この次元の扉、または時空の扉というものは、誰でも、ちょっとした連想ゲームをしてみればわかるはずです。あの時、別な選択をしていたら、いまとは違う人生の時間が経過したはずということを考えたことは、誰にでもあることでしょう。その選択のなかには、実は選挙のようなものも含まれると考えてみてください。


未来を決めるのは、そうしたひとりひとりの意志なのです。都民の方には、今回の選挙で、東京だけではなく日本の未来にも責任が生まれるという自覚が必要なのかもしれません。

2016721日 積哲夫 記

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