199.貶める魂胆あるものが醸し出す薄気味の悪さ。…

かつての情報媒体であった新聞やTVがここまで地に堕ちてしまうと、メディアは反日左翼に乗っ取っられ、国益を損ねるためのプロパガンダであり、日本の敵であることを多くの日本人が気づき始めた。
情報弱者にも大いに問題はある。それを格好の餌食として反日メディアに操られていることに目覚めないのは国家にとって弊害である。

彼の勢力は、反日メディアの正体が日本の敵であることを暴いたネットを目の仇にしている。

特に政治ブログについてはとっくの昔から、メディアに事実や真実の情報を求めてはいない。監視対象にしているだけだ。

ブロガ―や読者にとっての関心事は、メディアには「どこの新聞、どこのTV局のどの番組が、どのコメンテ―タ―が」何を捏造し、何を隠蔽し、どのような印象操作をしたか…について監視しているのである。

政治ブログの主流はメディアの魂胆を看破し、伝えられていない事実や歪曲された真実によって国益を貶める印象操作を暴き糾弾。
戦後長きに亘って洗脳され、脳裏に染み付いた自虐史観からの呪縛から解き放たれ、一刻も早い国民の覚醒を目指してきたという共通認識がある。

SNSを主な情報源としている20代~40代の国民には、メディアのフェイクが通用しない。既存のメディアに依存していない日本の未来を背負う世代が健全な判断力を持っていることは、日本にとって大きな救いである。

ところで政治ブログ界隈にも少しずつ異変が起こり始めている。既に周知の通りと思われるので敢えて具体名は公開しないが、凍結や閉鎖が相次いでいることはご存知であろう。

今や政治ブログは本体の記事だけでなく、寄せられるコメントと一体構成として読まれているし、読者の意見交換の場として活用されている。それが健全な議論の場であれば、大変望ましいことは云うまでもない。

かなり長文化や独自の持論を展開するコメントも多くなっているが、拙ブログはコメンテ―タ―から非公開希望があったものと、あまりにも悪質な誹謗中傷コメントを除いては、極力公開することを基本としてきた。

率直なところ、ブログの本題などは全く意に介していないが如く、持論だけを展開するコメントも散見されたし、かなり前から気づいてもいた。
これも毎度のように習慣化されてくると、単に自己アピールの場として利用されているような気分になったのも事実である。
それは私だけでなく、一部の読者諸氏も看破していたことを承知している。

他意や何らかの魂胆があるコメントにはどことなく違和感があり、賢明な読者の方は一見ロムっているだけのようで、実際は魂胆を察知しているのである。

好意的な読者になりすまして、多くの読者の目を集め、あらぬ方向に誘導していく…気づいた時にはすっかり洗脳され、日本再生を目指したつもりが、意に反して足を引っ張る側に回っていた…。
このような事態に陥ることを警戒しなければならないが、こうした意図を持っている者は実に巧妙である。

巧妙であるから説得力もあり、思わず誘導されてしまうのであるが、疑念を抱いたとしてもコメントを排除してしまったのでは、その意図を見極める機会を失ってしまうことになる。

そのために出来るだけコメントは公開してきたが、そのスタンスを非難するブログもあることは承知している。
拙ブログ も誹謗中傷されたり、勝手な推測で在日にされたり、特定宗教の信者にされたこともあるが、その手のブログやコメントには反応しないことにしている。

妙に絡んできたり執拗に吹聴するブログやコメントの主は、反応することを望んでいることが見えているし、そもそも気に入らなければ見なければいいのであり、いちいち絡むから本人もストレスがたまるのではないだろうか。

人間とは思い込みと錯覚で生きている動物だと思っているので、読み違いや判断ミスだらけである。

そんな曖昧なものにいちいち反論するのはばかばかしいという考え方が根底にあることも、滅多に反論しない理由でもあった。

気に入らないブログへ非難することを目的としているとしか思われないブログやコメンテ―タ―は、印象操作を目的化している反日メディアとよく似ている。
あるいは、政策への議論を避けて挙げ足とりばかりに執着する某野党第一党を連想させる。

誹謗中傷が目的化されているものは、読んでいるうちに気分が悪くなるのを通り越して、気味が悪くなり不快感を覚える…このようなブログに違和感を感じ、遠のいていくのは自然の成り行きであろう。

この記事へのコメント

  • なおと


    大和心様

    まさにおっしゃる通りです。
    私も基本的にはロム専なのですが、記事の内容そっちのけで独演会の如く、延々と自説を説くコメントには違和感を感じておりました。

    ひと目に付きやすい最新記事のタイミングを見計らって、コメント欄で自身の主義主張を押し通す。
    「この方は、大和心様の書いた記事を見て何も感じないのか、何故この記事にそんなゴシップを・・・いや確かに興味はあるけど(笑)」などと何度も思っていたのですが、やはり私だけが疑問を抱いていたわけではなかったようで安心しました。

    しかし、コメント欄では概ね好意的に受け入れられており、私自身もかつては共感していたため中々指摘し辛い雰囲気で悶々としていましたが(笑)。
    ある方の投稿は偽物という事で皆さん納得をされた様ですが、私は文体からしてご本人だったと思っています。

    などと長々と長文を書いてしまいましたが、今回の大和心様の記事で、ここ一年程の溜飲が下がる思いであり、大変感謝しております。
    2017年08月28日 09:12
  • 大和心様

    閲覧数もかなりの数になりコメントの処理だけでも大変なのではと推察しています。

    それで8月の頭あたりに一度ご提案しようかと思っていたのですが、ブログ消滅か?というようなこともあって時期を逃しておりました。すなわち、お疲れではないですか?ということです。余命様のようにスタッフの方がいれば違うのでしょうが一人でこれだけの記事を書き、コメントの処理までされているというのは結構な負担になっていると思うわけです。そこでお休みをとられてはどうかと提案しようと思っていました。

    方法としては一時的にコメントを閉じてしまうというのがあります。一週間でも一ヶ月でも。完全になくなるのは寂しいですが。

    たぶん悪質なコメントもあるのでしょう。基本無視でいいというのは分っておられるはずですが、それでも嫌なものを見れば嫌な気分になるというのは人情というものです。

    ここは大和心様のブログなので好きにする権利があります。自由に考えられては如何ですか。

    私は新参なので僭越なのは心得ていますがご提案させていただきました。

    このコメント公開していただいてかまいませんよ。おまかせしますが。
    2017年08月28日 00:04
  • ひらめ

    お久しぶりです。大和心様の
    >
    率直なところ、ブログの本題などは全く意に介していないが如く、持論だけを展開するコメントも散見されたし、かなり前から気づいてもいた。
    これも毎度のように習慣化されてくると、単に自己アピールの場として利用されているような気分になったのも事実である。

    には同感です。実はここ最近ほとんどコメント欄は読んでいませんでした。主様の言う通りのことが原因です。影響力のあるブログのコメント欄には有りがちですがコメント欄は、本文に沿った感想や反論を書き込むのがマナーだと思います。そして手短に。それもマナーですよね。
    2017年08月27日 18:22